シンゴジラはとっても庵野作品だと思った
シンゴジラみてきました。以下感想3つ。ネタバレばっかりです。
①庵野作品に信頼できる女性が出てきたのが嬉しかった
③最後のゴジラのしっぽは何なんだ
ちなみに私は特撮に関する経験ゼロ、当然ゴジラもよく知らない、エヴァはTV版から新劇場版Qまで全部見た、安野モヨコファン(監督不行届も既読)、です。エヴァはかなり好きです。新劇でエヴァが覚醒するとこで泣きました。じゃ感想いきます
エヴァの細かい話は知らん、って方は青字をスキップ!
感想1:庵野作品に信頼できる女性が出てきたのが嬉しかった
庵野作品とか言いながら私エヴァしか見てない大口叩いてすみません。あ、やっぱり「トップをねらえ!」もちょっと見たことあったです。
までも庵野氏の世界観ばりばりなのがエヴァですよね。そしてエヴァって、(新劇場版ではみんなちょっとずつ責任感とか人を思う気持ちみたいなのが出てきてるけど、元々のテレビ版や旧劇場版だと)まともな女いないんですよね。
しかし!!
シンゴジラは良かった。石原さとみも市川実日子も最後まですごい骨太ないい女だった。「女である」ことはあくまでオプションとして付随してて、中心に人間として、あるいは仕事人としての意思や信念ががっつりある素敵な人達だった。
古いエヴァ(ここではTV版から旧劇場版までをこう呼ぶことにする)の女たちは仕事という殻をまとった中身のぐにゃっとした生き物で、仕事の殻を一度はがしちゃうとその下で弱さや欲望や男嫌いや精神異常が渦巻いてた。ミサトさんは結局のところ孤独に耐えきれない弱い女だったし、リツコさんは過去に縛られ男を憎んで男を愛する獣だった。レイはお人形でしかなく、お人形から人間になろうともがいたが、だからこそ死んでしまってやっぱりただのお人形になってしまった。アスカは最初こそ理想のツンデレだったのに精神崩壊して、最後はシンジ君という〈僕〉を「きもちわるい…」と蔑む存在になってしまった。まともなやつが、いない!!
庵野秀明、女嫌いなんだな…そしてその嫌いには崇拝と畏怖と見下しが混じってるんだな…愛憎が渦巻いてる…
って感じが古いエヴァからはぷんぷん漂ってくるわけですが、
それに比べてシンゴジラ!!!!
最初から最後までいい女、カヨコ・アン・パターソン!!!
色恋には持ち込まないぜ!!!
私が好きな台詞は、「ZARAはどこ?」と、Good luckと言われてthanksとか返さずにため息まじりに"yeah.."と言うところです。石原さとみのyeah...
あと、初登場のシーンでつけてたピアス(ちょっと高そう)は途中ぜんぜんしてないのに最後のシーンでもう一度してるのがなんかいいですね。旅行中っぽさ。着飾ったまま急遽来た国でゴタゴタしながら過ごした後、一件落着してさあ本国帰るかってなったら来た時のピアスつけるよね。うんうん。
庵野監督の世界が古いエヴァの頃とは変わってきていること、新劇場版にはもちろん現れているけど、シンゴジラですごくわかりやすく伝わってきた。「女という生き物」は怖いものでも狂ってしまうものでもなく、「女」より「人間」がちゃんと先行する、意思のあるいい女がいまの監督の世界にはいるんだなあと思った。よかったよかった。(私は一体誰目線なのかというのはここでは一旦置いておく)
感想2:シンゴジラとエヴァの視覚的な共通点 とか
シンゴジラにはいろんなところに様々な作品に対するオマージュが仕込まれているという。しかし私は無知なのでそんなことはさっぱりわかりません!エヴァっぽいと思ったところも元を辿ればそもそも他作品へのオマージュなのかも!(1つだけわかったのは、カヨコが飛行場に佇む後ろ姿をうつしたシーンにすごくスカイ・クロラっぽい空気が流れていたことくらいか。)わからぬ!だが私は語る!
エヴァとだぶった景色を挙げればきりがない。
覚醒シーン。血の海からの誕生。地下鉄の階段に矢口たちが逃げるところは、シンジ君がエヴァに乗ることを拒否して一般人に紛れてジオフロントの中に非難する時に地下に入って行く斜めの光景を彷彿とさせた。遠くから眺めるゴジラ。停電。1度目の襲撃のあとの、様々な報道アナウンス、日常を取り戻す朝の高校生、線路。新橋が焼けるところ。自衛隊の砲火でおきる衝撃波が市街地を抜けて行く様子。
ていうか、シンゴジラはエヴァの出て来ないエヴァだっていう感想も聞くくらいだ。
見た目も、BGMも笑、世界観も、エヴァと共通するものがたくさんある。
てかこれ「エヴァ要素」っていうより、「庵野秀明要素」なんだろうなと思った。
何よりエヴァを感じたポイントは、
ゴジラの装甲の厚さと、進化。
そこに横たわるコンセプトは、エヴァ…じゃなく、神なんだと思う。
神、と言っていいのかもわからない、正確な言葉を選ぶなら「人を超える存在」か。
人が、「人を超える存在」を、何らかのかたちで創り出してしまった時、
人はそれをどうするのか、
制御できるのか、
立ち向かえるのか、
言って見れば庵野秀明というクリエイターが追い求める問いなのではないか。
(そこにミリオタとか電車オタとか特撮オタとかいろんな要素が付随して出来上がる)
とまで考えてふと「神の存在証明」を思い出した(映画を見ながら)。
③ デカルトの仮言三段論法肯定式(モダス・ポンネス):
仮定1: 神は完全である。
仮定2: もし神が完全であれば、神は存在する。
結論: ゆえに、神は存在する。
引用元:http://www.k2.dion.ne.jp/~yohane/0000ginotaiyou3.htm
この存在証明を論理で倒せるか、というのと、ゴジラを物理で倒せるか、というの、似たような話かな、と思ったりした。
感想3:最後のゴジラのしっぽは何なんだ
最後のシーン、1回目に見た時は「手」にしか目がいかなくて、
手がいっぱいだ〜 と思ったんですけど、一緒に見た人に「最後のシーン、人がいっぱいいたね」って言われたので、2回目ちゃんと見てみたら、めっちゃ人のシルエットでした。
1回目に見た時、「最後にのこったエネルギーでなんとか生き延びる最適解の進化を遂げようともがいたのかな」と思ったので
そのイメージが強いのですが
このしっぽはいろんな説があるようですね、もちろん正解なんて私たちにはわからなくて、いろんなふうに解釈できる、そういう余地なんだなと思うので以下完全に想像
ゴジラが「進化」するのは細胞レベルでの本能なのかな、と思うので、
末端で生き残っていたわずかな細胞が、周囲の細胞が死んで行くのに危機を感じ、
なんとかその環境でも生きて行ける最適解を追い求めて「人」に近い形を取ろうとした、
しかし形成が成功するよりも細胞が死んで行くスピードが早く、残った細胞が必死にまた人の形成を試みる➡死んで行くの連鎖でああいう形に?みたいな…
なぜ人の形を取ろうとしたのか?については
ネットで読んだ説 ①旧日本軍の亡霊がゴジラだから
考えた可能性 ②元教授の「私は好きにした」は、実は教授自身がゴジラの中にいるとか…
考えた ③遺伝子から割り出された、あの状況における生存のための最適解が「人のかたち」だった➡「ゴジラより人の方がおそろしい」に繋がる
らへんを想像しました。
何にせよ、想像を掻き立てるすごい造形だった。
そして特に結論がないまま失速するこのブログ記事である
最後に一言いわせてください
すこし頭冷やしてからまた見に行きます!!!