ほんきのサブカル

のんきなサブカル

スーパームーンとおでんの匂い

飲み会が苦手だ。うるさくて落ち着かなくて、会話のためにいちいち大声をあげなければならない。とても疲れる。

それでも参加するのは一緒に居て楽しいと思える人がそこにいるから、又はタダメシにありつけるからで、今日の場合は後者だった。

飲み会が苦手でも、にぎやかな場から急に一人になるのは寂しくて、私は地下鉄の入り口で携帯をつるりと取り出し恋人に電話する。味付けの濃いビュッフェが微妙な満足感でお腹に収まっていて、このまま帰ればすぐにお腹が空きそうだけど、何か食べるほど空腹でもないのだと相談すると、彼は「〆のラーメンってとこだな」と笑った。

「うどん屋さんがあるけど」(胃が弱いのでラーメンは胸焼けしてしまう)

 

で、ふと思いついたのがおでんだった。うどん屋さんにおでんがある。

「うどんのウエストでおでんだけ食べるって、ありなのかな」

知らない、と恋人は言う。でもおでんはいいな。今日はスーパームーンだから。前のスーパームーンの時は一緒におでんを食べたよ、金沢駅で。

「え、あれもう1年前? あ、ちがう。もしかして2年前?」

2年だな。

「もうそんな経つの」、半年前くらいの新鮮さで記憶に残っているのに。「それならおでんにする。食べて帰る。」

俺も40分くらいしたら帰り着くよ、と、まるで同じ家に住んでいるかのように言い合って、そこで電話は切れた。

 

スーパームーン。次にこの大きさになるのは六十数年後だと恋人が言っていた。さすがに次は見れないねえ、と私は空を見上げたけれど、月は見つからない。

今夜ほどの規模ではなかった?らしいが、2年前のスーパームーンの日に私たちは金沢駅でおでんを食べた。秋のはじまりを告げるようにローソンがおでん70円セールを始めていた。その秋の一番最初の70円セールだったのを憶えている。駅を通り抜けて仕事終わりの恋人を迎えに行き、それぞれ好きなおでんを好きなだけ買った。晩ご飯を作るのが面倒だったから。駅の、観光名所みたいな大きな門の周辺には座れる場所があって、石の腰掛けから月を見上げながらおでんを食べた。お腹がすいていたし、気候がよかった。

あの時のことは幸せの象徴のように私たちの記憶に残り、時々思い返しては「あれは楽しかったねえ」と言い合うことがある。私たちは身軽だった。何にも縛られず身軽だった。私は、家庭で刷り込まれた「きちんとしなければならない」という観念(それはギフトでもあるのだが)から遠く離れ、ご飯はテーブルで食べなくてもいいし、夜に家にいなくてもいいし、好きな男と好きなように暮らしていいし、お金と時間さえあればどこに行ったっていいのだと、その自由をその解放を隅々まで楽しんでいた。青春とは家庭において刷り込まれた色々なものを、良いものも悪いものも全部捨て去って、捨て去ることができる自分を楽しんで、そしてそこから何を取り戻すか、何が残るか、試してみることなのだろうと思う。一旦全部壊してみてから、何が良いもので何が悪いものなのか、自分で決める時間がその後についてくる。

あれから2年経ったのだ。

あの時はおでんに柚子胡椒をつけた。今日のうどん屋のおでんコーナーの辛子チューブはあまり魅力的に見えなかったのでパス。

スーパームーンを楽しむ勝手な暗号として、おでん、というのは悪くないキーワードだと思った。

私はひとり、うどん屋でおでんを食べて、よく行く喫茶店でジャムとクリームと紅茶を吸い込み、帰路についた。